魔のイヤイヤ期は子どもの成長の過程、「待つ」ことで上手くいった私のイヤイヤ期子育て

【育児体験談】魔のイヤイヤ期は子どもの成長の過程、「待つ」ことで上手くいった私のイヤイヤ期子育て

【自分の年齢】(イヤイヤ期育児の当時)
34歳
【自分の職業】(イヤイヤ期育児の当時)
専業主婦

【夫の年齢】(イヤイヤ期育児の当時)
35歳
【夫の職業】(イヤイヤ期育児の当時)
会社員

【住んでいた住宅と環境】(イヤイヤ期育児の当時)
夫の働く会社の社宅に夫と子ども3人で住んでおり、社宅内に子育て世代の方も住んでいました。
住んでる街の子育て支援センター等にも時々通い、3歳上のお姉ちゃんが通っていた親子体操教室にも通っていました。





【性別】
女の子
【兄弟姉妹】
3歳上のお姉ちゃんと2歳下の生まれたばかりの弟がいた
【子供の性格】
引っ込み思案で人見知り、自立心は高い性格です。
私が他のママと話をしていると、嫌がり自分の方へ注意を向けてほしいというような態度で、その場から私を引き離そうとしていました。
祖父母とは離れて生活しており、周りにママ以外に甘える相手がいませんでした。
パパには特に大きな関心がないようで、ママにべったりでした。
2、3歳時にはお祭りの大きな音を嫌がったり、少し神経質な一面もありました。




【始まりと予兆】
上に3歳上のお姉ちゃんがいたからか、自分も何でもお姉ちゃんと同じことをしたがるような傾向がありました。
それが今思えばイヤイヤ期の予兆だったのかもしれません。

【イヤイヤ期の期間】
2歳頃から3歳頃まで



【こんなイヤイヤをする】
・自分で靴を履くと言い張り、よく家でも外出先でも靴箱の前で泣き出していることがありました。
しかしまだ指先の動きもままならず上手くいかず、手伝おうとしても嫌がり、最後には座り込んで泣き出してそのまま動かずということがよくありました。
・3歳年上の姉の幼稚園に用事がありでかけた時、帰りたくないと幼稚園の駐車場に居座り動かないことが多々ありました。
・お友だちの家に遊びに行った時、お友だちと私が話をしていると、私を引っ張って別室に連れて行き、私と二人だけになろうとしてそこから私もださないようにしていました。

【具体的に言うと・・・】
当時住んでいた街では子育て支援が充実していて、無料で開催してくれる体を動かしたり工作をする教室や、子育てサークル、有料の体操教室等に参加していました。
だいたいどのプログラムも参加するのを嫌がり、行ってもずっと子どもをどう参加させるかに苦心していました。
当時0歳代の弟も連れての参加だったので、ただただ疲れて帰宅し、「子育て支援のイベントや教室に参加する意味はあるのだろうか」と自問していました。
3歳年上のお姉ちゃんの幼稚園の行事等で出ごとも多く、さらに0歳時の赤ちゃんのお世話もあり、夫は育児家事に協力的ではありましたが仕事が忙しく、平日帰宅時には寝かしつけが終わっているような時間でした。
ほぼワンオペでした。
イヤイヤ期特有のものなのかは分かりませんが、寝起きが悪いこがほとんどで、いつも泣いて起きていました。
特にお昼寝から目覚める時は、我を忘れて泣くような無茶苦茶な泣き方で、何をしても泣き止まず、時間に任せ側について危険がないか見守り泣き止むのを待っていました。
外出はいつもお昼寝の時間がかぶらないようにと気を使っていました。




【当時の心境】
昼間はでかけてもイヤイヤされることが多く、お出かけも楽しめないことが多々ありました。
だんだん私も疲れて来て家で過ごすことが増えたのですが、家で過ごす間は穏やかな時間も多く、0歳の弟をかわいがってくれました。
子どもの成長はとても嬉しく、見ていて嬉しかったですが、自分の時間はほぼありませんでした。
そのことを言い出すこともできず、ただ毎日をこなすような時もあり、今から思えば、もっと周りにSOSを出したら良かったと思います。




【夫の対応】
夫は平日は育児に参加する時間はほぼなく、休日に子どものイヤイヤに遭遇した時にはうろたえていました。
「ママがいい?」とよく子どもに聞いていた気がします。
夫とはよく話をする方だったとは思いますが、当時は上手にSOSを出せていなかったと思います。
一人で抱え込んで、そして言い出せないまま不満をためていくのは、自分にも夫にもよくないと今なら思えます。
将来の夫婦関係、父子関係構築のためにも、夫に子どもを預け自分の時間を作る努力を頼む側の私もすればよかったです。




【工夫と便利グッズ】
工夫はとにかく「待つ」ことでした。
「やりたい→できない→イヤイヤ」という流れになることが多かったので、子どものイヤイヤにすぐに反応して怒りを爆発させるのではなく、論理的に子どものイヤイヤに至る流れを考え、収まるのを「待つ」ということをしました。
その為に予定を入れないことや、時間は余裕を持ってという工夫もしました。
役立ったのは育児書です。
子どもの心の動きを論理的に捉える助けになりました。
特に佐々木正美先生の著書が好きでした。




【強烈な思い出】
久しぶりに遠方から私のお友だち2人が子どもを連れて家に遊びに来てくれた時です。
子供同士も遊べるし、その間にママ達はおしゃべりで気分転換といきたいところでした。
3歳上のお姉ちゃんはお友だちと遊び、0歳児の弟は抱っこで大人しく寝ていました。
しかしイヤイヤ期真っ只中の次女は、ダイニングテーブルでお茶を飲みつつ談笑している私の足元から離れませんでした。
初めは私も次女の相手もしつつ。
友達とのおしゃべりも楽しんでいました。
しかし自分の相手より、友達とのおしゃべりに私の関心が行っていることを感じた次女は、私を引っ張り寝室へ連れて行きました。
しばらく次女の相手をして、頃合いを見計らって友達の元へ帰ろうとしましたが、次女が話してくれません。
「行っちゃやだ!ずっとここにいて!」と泣き出してしまいました。
気を使った友達2人が寝室まで来て、おしゃべりに混ぜてくれましたが、そのことでより一層次女が泣きだしてしまい・・・。
久しぶりの友達とゆっくりおしゃべりしたかったのにというという気持ちと、せっかく来てくれた友達に気を使わせてしまったという申し訳ない気持ちとで、とても強烈な思い出として残っています。




【後悔してること】
言うべきじゃなかったことは泣いてる子どもに対して「もうママそんなんじゃどっか行っちゃうからね!」と怒鳴ったことです。
私に怒鳴られた子どもはさらに泣き、必死に私にしがみついてきました。
その時夫はおらず私と子どもだけでした。
実際にはそんなことはしないにしても、子どもを見捨てるような発言に子どもはとても傷ついただろうし、子どものイヤイヤに対応する方法として逆効果で意味がなかったです。




【嬉しかったこと】
自分で靴を履きたがり、上手くできなくて泣き出すことがよくありました。
時間に余裕がなかったり、初めは「早くして!できないならママがやるから!」と怒った態度をとってしまいましたが、次第に「待つ」という態度をとるように務めました。
すると子どもも十分に満足したのか、できない時の手伝いの申し出を受け入れてく、自分の「待つ」という方法が成功したことがとても嬉しかったです。
また、子どもが自分で靴を履けるた時の子どもの嬉しそうな満足した顔がとてもかわいかったです。




【現在】
あれから4年が経ち、次女も小学生になりました。
未就園児の時代には人見知りだったのですが、幼稚園に入園してからはお友達もスムーズに作ることができ、小学校も楽しそうに通っています。
元々自立心が高い子どもではありましたが、小学校に入ってからは私が管理しなくても、準備物や宿題もだいたい自分でやってくれます。
イヤイヤ期の当時、私の「待つ」という作戦が功を奏し、子どもの自立心を育てることができたのかなと、当時の自分も褒めてやりたくなります。



【当時の自分へのアドバイス】
もっと早くに育児書に触れておけばよかったと思います。
子どもを客観的に見る視点を与えてくれます。
すぐイライラに身を任せるのではなく、一呼吸置いて子どもに対応する習慣をつけると良いです。
そして夫には「頼ってはいけない、働いてないんだから育児は私がすべき」という思い込みを早く捨てて、夫に頼る任せることをするべきです。
十分頑張っていると自分で自分を認めてあげたいです。