夜泣きが無いことは幸いだったけど、物を投げて癇癪起こしていた日々は本当にしんどかった。今の本人はケロッとしており、動画を眺めては笑い話になっています。

【イヤイヤ期の体験談】夜泣きが無いことは幸いだったけど、物を投げて癇癪起こしていた日々は本当にしんどかった。今の本人はケロッとしており、動画を眺めては笑い話になっています。

【自分の年齢】(イヤイヤ期育児の当時)
25歳
【自分の職業】(イヤイヤ期育児の当時)
専業主婦

【夫の年齢】(イヤイヤ期育児の当時)
37歳
【夫の職業】(イヤイヤ期育児の当時)
国家公務員

【住んでいた住宅と環境】(イヤイヤ期育児の当時)
公務員の宿舎
実家が遠く近くに頼れる人が全くいませんでした。
子ども自分主人だけが自分の世界だったように思います。





【性別】
男の子
【兄弟姉妹】
2歳離れた弟がいた
【子供の性格】
こだわりが強く、癇癪持ち
積み木遊びやブロックが好き
列車を観るのが好きで頻繁に列車を観るために
駅に通っていた。




【始まりと予兆】
下の子を妊娠してから。
お腹の子どもを守ろうとしていたせいか
息子に上手く接することができないこともあったのが要因だったのかもしれない。

【イヤイヤ期の期間】
1歳〜3歳



【こんなイヤイヤをする】
気に入らないことや叱られたら
近くの物を手当たり次第投げる
イヤ< が言えなくてアイヤ< と主張していた。

【具体的に言うと・・・】
とにかく怒ると物を投げるので
妊娠中で体調が悪くても
家の中を極力キレイにすることに努めていた
里帰り出産で実家にいた時も、物は投げるので
両親や私の妹も慣れてくると物を投げる事を反射的に阻止できるようになっていた。
男の子のせいか体力があるので
なるべく公園に連れ出し発散させていた。
里帰りできる前まで動けるようになった2歳前の息子と毎日生活することがとても大変だった。
言葉が少し遅く、まだ自分の気持ちを表現できなかったこともあり
私も上手く汲み取ることが出来なくて
叱らなくても良いことで沢山叱ってしまっていたように思います。
癇癪が直ぐに退くこともありましたが
長いときはとことん一時間超えもザラでしたので
それに向き合うことがとてもとても大変でした。




【当時の心境】
里帰りできるまで、転勤先で知り合いもおらず、
児童館のサロンや公園は利用していましたが、
主人の仕事も毎晩遅くまででしたので、
閉鎖育児感が強く一時はノイローゼ気味になりました。
今でもあの三年間は辛かった記憶が強いです。




【夫の対応】
最初は辛抱強く対応してくれていましたが
次男が産まれてからなのか
叱り方が強く、追い詰めるような物言いも多く
なだめる という行為がほぼできていなかったように思います。
責任感からなのか、なかなか夫婦の話し合いも上手くいかず
こちらの言いたい事はほとんど受け入れて貰えない状態でした。
ごめんなさい を強要していたように思います。
なので尚更長男は何かあっても謝罪をすることが苦手になったのかなと思います。




【工夫と便利グッズ】
なるべく発散させるために公園や散歩で外に出ていました。
児童館の子育てサロンを利用。
責任感が強すぎて、しっかりした子に育てなければという気持ちが今思うと間違っていたことがわかります。
息子の気持ちをまずはしっかり受け止めて
共感することが大切だったのだと
今だとよく理解できるように思いました。




【強烈な思い出】
列車を眺めることが大好きだったので
かなりの時間眺めていました
たいてい、後3回列車を観れたら帰るよー
と伝えていましたが
この日はなかなかそのあとも言うことを聞かず
午前中からお昼過ぎても眺めていました
結局かなり疲れてお昼ごはんも食べずに寝てしまいましたが、
夕方まで寝てしまい、今度は夜中までなかなか眠らなくて
体力もあって元気ですし、私自身とてもしんどかった記憶があります。
夜遅くに帰宅した主人にどうしても長々と話をしてしまい、
疲れている主人に疎まれましたが、
あの日は喋らずにはいられませんでした。

転勤先での密室育児や孤立感はイライラ期も相まって、
ほんとうに手強かったです。
どうしても責任感からか、短時間でも子どもを有料期間に預けて私自身息抜きをする等
今となっては利用してみたら少しは違ったのかな?と思います。
当初は専業主婦をしていましたし、
お金を使うことが勿体無いことと、後ろめたさがあって、躊躇していました。




【後悔してること】
ダメW'って言葉をよく使ってしまっていたなと反省します
その言葉が引き金で物を投げていたように思います。
あとは、主人の機嫌を損ねないために
ごめんなさいを息子に言わせようとしていたことも今思うと、とても可哀想なことをしていたなと深く反省しています。




【嬉しかったこと】
大変で辛かった記憶のほうが圧倒的に多いですが、
食べながら寝てしまう姿がかわいかったり
アンパンマンを観ながらお尻を揺らして踊っている姿は本当に可愛かったなと思います
ピラメキーノのパンダを観ると必ずテレビに近寄って指差ししていたことも、今思うととても懐かしく可愛い思い出です。
冬はソリで移動もしていましたが
ソリで途中寝てしまい、風邪を引かないか
落ちてしまわないか不安でしたが
可愛かったなと思います。




【現在】
今は12歳で春から中学生です。
最近まで愛着障害があり
病院ではカウンセリングのみで他に治療は対処はなく
親の関わり方のみで悪戦苦闘しました
長男が安心できる居場所にならなければと必死でした。
兄弟ゲンカが激しく毎日が家庭崩壊状態でしたが
ここ半年で仲の良い友人に恵まれ
外の世界との関わりが生まれ
落ち着いてきました。
次男も長男から受ける嫌がらせにより、
不安定でしたが、落ち着いてきました。
まだまだこれから様々な悩みや困難があると思いますが。
過去にあった辛い出来事を、今は息子達と笑い話として話すこともできているので
とてもとても嬉しく思っています。
土日の休みが毎回毎回辛かった日々でしたが、
今は何をして過ごそうか?と考えられるようになったので。
子ども達の成長をとても嬉しく思っています。



【当時の自分へのアドバイス】
しっかり良い悪いの判断を教えなきゃW'
なんて思わなくて大丈夫。
まずはその子が何を思っていて感じてるのかを察知してあげること
共感と受容がなにより大切
なるべく時間に追われないようにゆとりを持って動くこと
毎日のタスクのなかでたまには抜け落ちても大丈夫
頼れる人が居るなら遠慮なく頼る
お母さんが笑顔で居られることが一番
旦那さんには何をしてほしいのか
明確に伝える(それを理解して貰う)
他の人の迷惑にならないように、立派に育てる< ではなく
多かれ少なかれ人は生きていく過程で迷惑をかけたり助けられるものだから。
誰かが困っていたり辛そうにしていたら
その人の力になってあげられる優しい子になってほしいなと思うほうが、追い込まれない。
嫌なことはしない→自分が嬉しいと思うことを人にできる子どもになってほしいな
と考えるほうが気楽です。